金森赤レンガ倉庫・函館

金森赤レンガ倉庫の生い立ち

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金森赤レンガ倉庫の歴史は、金森倉庫の創業者、初代渡邉熊四郎が最初の事業、金森洋物店を開業したところから始まります。明治2(1869)年、榎本武揚ら旧幕府軍が降伏し、開拓使出張所が函館に置かれた年、まさに新しい時代の幕開けでした…。24歳の時に長崎から函館にやってきた熊四郎は、旧金森洋物店(現市立郷土資料館)・旧金森船具店で輸入雑貨や船具の販売等、数々の事業を営むかたわら函館四天王の一人として創設期の函館に数々の業績を残しました。特に社会、文化事業に果たした役割は大きく、学校や病院の建設、公園や水道施設の整備等、多くの公共事業に私財を投じました。

金森赤レンガ倉庫の歴史ムービー(Youtube)

明治20年〜函館倉庫事業始め

明治20年〜函館倉庫事業始め

明治17年(1884年)頃から倉庫の必要性を感じていた初代は、明治20年(1887年)に営業倉庫業に乗り出します。三菱会社との合併により日本郵船会社となったため不要になった共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取り倉庫業を始めました。創業当時は預かり荷物が不足していましたが、明治23年(1890年)頃には海運隆盛の動きに比例して預かり貨物量が増大し、倉庫が不足するほどになりました。

明治24年(1891年)7月12日の函館新聞によると「末広町渡邉熊四郎氏が船場町所有地内に建築の煉瓦造荷物倉庫は梁八間行間二十間高さ十八尺之は平製造所の煉瓦を用ひ屋根は金子製造所の瓦を用ひ然して庫内地上コンクレートにて固め其上に厚板を敷く由にて在来地に上砂三尺余を盛り地伏は既に落成せり此棟梁鈴木歌吉工事費予定八千円八月中落成の見込」となっています。

●年を追うごとに増す預かり荷物に対応するため次々と近隣の土地を確保し、倉庫を増築し、営業規模を拡張していきました。

明治後期〜明治40年大火からの復興

  • 明治後期〜明治40年大火からの復興
  • 明治後期〜明治40年大火からの復興

明治40年(1907年)8月、東川町より出火した火災は街の3分の2弱にあたる12,390戸を焼失する惨事となりました。この大火により金森倉庫は6棟を類焼し、言語の絶する大損害を蒙りますが直ちに不燃質倉庫の再建を指示、明治42年(1909年)5月に完成しました。

●未曾有の大火から数年、驚くほどの速さで復興を遂げ、明治43年(1910年)には利益をあげるまでに回復。収益では金森倉庫と弁天倉庫が他の倉庫を抜き放すようになりました。

昭和後期〜夢倉庫として新たなる出発

昭和後期〜夢倉庫として新たなる出発

昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていきます。
その一方で建造物としての金森倉庫が注目されるようになり風格のある姿が映画やテレビ、CMなどに写し出され市民のみならず観光客にも知名度が高まっていきました。
当時の金森倉庫幹部たちは、倉庫業の危機的状況を回避すべく、会社に余力があるうちに新たな事業への転換をと考えるようになりました。

昭和63年4月 金森赤レンガ倉庫へ

  • 昭和63年4月 金森赤レンガ倉庫へ
  • 昭和63年4月 金森赤レンガ倉庫へ

昭和63年(1988年)4月、「金森赤煉瓦倉庫」は「金森赤レンガ倉庫」へと生まれ変わりました。今もなお、海運業盛んな頃の面影を色濃く残す函館ベイエリアの象徴の一つとして、訪れた人に、忘れられない素敵な時間を残せる場所であり続けられるように、金森赤レンガ倉庫はいつまでも函館の歴史を見守り続けます。

創業者渡邉熊四郎と金森倉庫の歩み

天保11年
(1840年)
大分県豊後竹田に生まれる。
文久 3年
(1863年)
箱館奉行所の輸送測量船『箱館丸』に乗り込み長崎から箱館に渡る。
明治 2年
(1869年)
洋物店を開業、屋号を森屋、商標をとする。
明治 7年
(1874年)
平塚時蔵、今井市右衛門と共に魁文舎を開設。
明治 8年
(1875年)
上水道の必要性を奨説。のちに公共事業は、学校、病院、公園等へ尽力する。
明治10年
(1877年)
北海道初の時計店を開業。
明治11年
(1878年)
金森船具店を開業。北溟社を創し北海道で最初の新聞、函館新聞を創刊。
明治12年
(1879年)
第百十三国立銀行を創立。
明治13年
(1880年)
金森洋物店(現在の函館市立郷土資料館)が完成。
明治14年
(1881年)
函館どっくの元となった、函館器械製造所を創設。
明治15年
(1882年)
公益の功により北海道初の藍綬褒賞を受賞する。
明治20年
(1887年)
函館で最初の営業倉庫を開業。
明治25年
(1892年)
1年をかけて世界一周へ。アメリカ⇒ヨーロッパ⇒アジア各国を回り見聞を広める。
明治29年
(1896年)
大森浜へ防風林として松苗3万本を植栽する。家督を譲り、隠居後、自ら名を孝平と改める。
明治31年
(1898年)
金沢正次を後援し、函館麦酒醸造所設立。2年後、谷地頭に「函館ビヤホール」を開店。
明治38年
(1905年)
私費を投じて再建した函館病院が完成する。
明治39年
(1906年)
金森商船の元となった金森合名会社設立、倉庫、回漕、船具店と、棒二森屋の元となった渡邉合名会社設立、洋物店、魁文舎、洋服店、時計店、三星店等を分興。
明治40年
(1907年)
初代・渡邉熊四郎逝去。函館市空前の大火、12,390戸焼失。金森倉庫も全焼。
明治42年
(1909年)
金森倉庫の再建工事が完成。現在に至る。
大正 5年
(1916年)
金森合名会社改め金森商船株式会社設立。
昭和63年
(1988年)
倉庫を改装し『函館ヒストリープラザ』オープン。(第一期開発)
平成 6年
(1994年)
金森洋物店オープン。
平成13年
(2003年)
日本郵船より譲渡を受けBAYはこだて取得。41店舗(当時)の大型施設となり、施設総称を「函館ヒストリープラザ」改め「金森赤レンガ倉庫」へ変更。
平成21年
(2009年)
BAYはこだてをリニューアル。